言語は文化

 日本では、魚の「ブリ」は成長に伴って様々な呼び名で呼ばれます(代表的な呼び名はワカシ→イナダ→サワラ→ブリ)。これは日本特有のことで、恐らく日本人は海洋民族であり、海に根付いた文化を持っているからこのようになったのでしょう。

 いっぽう、中東に住むある民族が使う言葉にはラクダを表わす言葉が200以上あるそうです。これはもちろん、ラクダが彼らの生活になくてはならないものだからこそのことでしょう。

 また、世界には 3 を超える数を表わす言葉を持たない民族があるそうで、彼らは生活の中に数の概念をほとんど持たないそうです。



 つまり、言葉というのは文化を投影したものと言えるでしょう。



 これはプログラミング言語においても同様です。プログラミング言語にもそれに伴う文化があり、文法を覚えたからと言って使いこなせるようなものではありません。それはもちろん、仕様書などの書き方にも及びます。また、相容れない文化というのがあるように、例えばCOBOL文化とJava文化が相容れないことだってあります。文化を十把一絡げにしてしまっては、争いが起こるのは歴史の示すところで、それはシステム開発の現場においても同じであると私は感じています。


 ということで、コンピュータシステムに複数のプログラミング言語が関わっているのならば、文化保護のための自治と相互平和のための国連的存在が不可欠です。