技術者なら「なぜただなのか」より「どうやって作ったのか」を気にしてほしい

 とてもよくできた(無償で利用可能な)オープンソースソフトウェア(以下 OSS)を指して「よくこれを無償で出すもんだ」「なんでただでできるのか」と言う人がいます。その気持ちはわからなくないです。お金にからむ疑問は、生活の基盤がお金である以上、誰しもが持つものでしょう。


 ですが、その次というのがあってもいいと思うのです。つまり、技術者ならではの疑問です。


 ところが、「このソフトは何行ぐらいのソースコードでできているのか」を気にする人は技術者であっても意外に少ないように思えます。中には、自分たちが「ダイキボ」プロジェクトと呼んでいるもののコード量をはるかに凌いでいるのさえ気がついていない人もいます。



 そして、そのようなものが「世界中にちらばっている技術者たちでどうやって作ったのか(マネジメントも含めて)」を気にする人もとっても少ないです。



 ボランティアベースというのは、逆に見れば意欲が続く限り無尽蔵に人件費が使えるみたいなものです。また、OSS は商業的な戦略や顧客との契約などで縛られている縛れていないのでリリース日だって比較的簡単にずらすことができます。なので、業として受託ソフトを開発するのとはマネジメントもわけが違うと思われるかもしれません。


 確かにそうかもしれません。ですが、OSS にかかわる人って、案外(乱暴な言い方ですが)めんどくさがり屋です。自分が楽をするためには努力を惜しまないというパラドックスの中で生きていたりします。そんな彼らの開発スタイルは、きっと業としてのソフト開発にも役立つものがあるはずです。それに、(Linux カーネルのように)超大規模なソースコードを持つソフトウェアをマネジメントもなしに開発できるはずもありません。もしできるのであるとするならば、それこそ一所懸命にプロジェクトマネジメントを勉強したプロジェクトマネージャがやっている「ダイキボ」プロジェクトの負けですよ。