なぜエンジニアエンジニアと騒ぐのか

 今日は、いつにも増してあまり役に立つ話ではないです。

 このブログでは、何度か「エンジニア」がどうこう「技術者」がどうこうという話をしています。

 なんでかなぁと自問自答してみたのですが、やっぱり父の存在が大きいですね。

 私の父は、FA のための機械を作る技術者です。製造大手でも「これを機械化するのは(技術的・採算的に)無理だ」と言われるほど燃えるタイプで、幾度となくその「無理な」機械を作っている尊敬すべき技術者です。ロボコンにも出場した私ですが、ねじの回し方ひとつから「プロとしての心構え」というのを父に教わりました。

 そんな父は、その腕一本でそれなりの地位にまで行きましたが、人を使うのが下手で、還暦を目前にした今でも遅くまで機械と戯れています。男たるものいっぱい銭を稼いでこそ何ぼという反面、「自分は遊んでるだけ(父にとって機械いじりはなんであれ遊び)なのにこんなに給料をもらって申し訳ない」というほどの技術バカなんです。

 現在、日本のコンピュータシステムの開発に携わる現場では、マネジメントができない(人を使えない)となるとたいてい三下に見られがちです。逆にまさしく「コンピュータと戯れている」という感がもっとも強いプログラマーには、ほとんどがマネージャ的な方向への成長が期待されています。こんな観点から見たら私の父は三下中の三下ですね。ですが、私にとっては誇れる父に違いありません。だいたい、日本のIT業界はどうでしょうか。そうやってマネージャの粗製乱造(と言っちゃいますよ)をした結果、世界に羽ばたくソフトウェアをいくつ作れたのでしょうか?

 世界に羽ばたく機械はいっぱいあっても、ソフトウェアはとっても少ないです。なので私は、今の日本のIT業界の多くがとっているキャリアパスに従う気持ちは毛頭ありません。

 SEなんて呼ばれなくてけっこう。ずっとプログラマーと呼んでください。






 世界に羽ばたくあんな製品やこんな製品が、世界に受け入れられる値段で提供できるように、今日も誰も見ていない工場の一角で父が作った機械がかっしゃんこんかっしゃんこんとラインをまわしています。